Sunday, 3 January 2010

旅行思い出し日記5

12月27日

三島・沼津付近で水処理の施設の見学をさせてもらった後、沼津駅?から三島駅へ移動し、三島から果てしないJRの旅が始まる。

今日は完全なる移動日。三島から別府までの移動を電車でするのはかなりつらい。
しかも、三島⇒静岡、静岡⇒姫路、姫路⇒小倉、小倉⇒別府と、細切れでの移動。

のぞみがのれないために、小倉までいっきにはいけないのですな。
唯一の救いは、姫路⇒小倉間を除き、他はグリーン席であること。
(姫路⇒小倉間はRail Starというグリーン席がない新幹線だったので、やむなく指定席に)

この間は本を読むか寝ているかのどちらか。
失格社員不正会計50代からの選択人口減少経済の新しい公式ときて、最後は竜馬がゆく(これはまだ読んでる途中)。(特命係長只野仁 ルーキー編も読んだけど)

新幹線を終え、特急有明に乗車。小倉で駅の側のパンやに入り、チョココロネとかピーナッツフランスぱんとかをほおばりながら別府へ向かう。グリーン車なのに、あまり座り心地はよくない。

別府に着いたのは午後8時。足掛け約7時間の陸路の旅。つかれた~。

別府の街に行くのは初めてだったんだけど、雰囲気としては熱海に近い感じ。
行き慣れている箱根とかに比べると、やや情緒はない。街としては、本当に温泉あるの?という雰囲気。これは海沿いの温泉地のせいなのか、それとも早期に開発された温泉街なのか(箱根も古くからある気がしますが、、、)。

Wikipediaによると

1950年(昭和25年)には、国際観光文化都市の第1号として国際観光温泉文化都市に指定されると、1957年(昭和32年)に別府温泉観光産業大博覧会が開催され、別府タワーや、鶴見岳別府ロープウェイ九州横断道路やまなみハイウェイ)が開業するなど観光施設の開発も相次ぎ、宿泊施設も急激に増大していった。

そして、鉄輪、明礬、柴石の各温泉は、1985年(昭和60年)3月19日に国民保養温泉地に指定されているが、観光ブームの去った後の別府は観光客も減少傾向にあり、施設の老朽化も進んでいた。国民の余興と娯楽の多様化も原因の一つであるが、ボーリングによって各地に様々な温泉施設が誕生したことも影響したようである。


だそうだ。観光ブームというのは感覚的にわからないんだけど、観光≒こういうことをするのが当然⇒という意識があって、その中に、温泉街っぽさ、というのは含まれなかった、ということか。

別府に着いて、既に到着済みの奥様と宿泊のホテルで落ち合う。
温泉には入らず、シャワーだけ浴びて、ご飯を食べにさまよい始めたところ、
まず繁華街と逆の方向へ歩き出す奥様(別府にあるAPUという大学にいってたので、詳しいはずなのに、、、)。結局タクシーにのる。

昔奥様が大学時代お世話になっていた飲み屋のママが経営する
焼肉・豚しゃぶ屋に行く。勧められるがままに黒豚のしゃぶしゃぶを食べる。

、、、うまか~!!(というかポン酢・ゆず胡椒がおいしい。予想では、九州の甘口しょうゆを利用したもの)

その他は飲み屋へゴー。しばらく談笑した後、近くの六本木という小さい店で和風ちゃんぽんなるもの及びガーリックライスを食べ、ホテルに帰って就寝。未だ温泉には入ってない。

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