Monday, 17 October 2011

暇なので、回顧録。12

1.4.交換留学後-卒業まで (続き)


さて、とりあえず書類諸々の話(雇用契約書とかそういう奴ね)は終了し、ただ今度はオーストラリアで会計士の資格(多くの会計事務所では、Chartered Accountantをとらされます。企業の経理の人は、CPAが多いように思います)をとるために、オーストラリアの関連する学位が必要で(特に僕の場合、日本の大学の学科がほぼ無関係なので)、また願書だのなんだの、という話が必要になりました。そして、TOEFLももう一度受けなおし。さらに、前回(交換留学のとき)みたいに、英語が全くできないんじゃいくらなんでもまずいだろう、ということで(留学の後日本にしばらくいた間は、比較の問題でできると思ったり、あとは1年留学していた、という事実自体と自分の駄目さに向き合わなくていいばかりに、意外と大丈夫だと思いがち)、どしたもんだ、と思っていました。


こっちの準備のほうはさておき、そして実際の卒論の準備には、触れることなく(触れる気もなく)、前述の通り、僕が働かせてもらっていたベンチャー企業は、二人の某コンサルティングファーム出身の人が立ち上げえた会社でした。で、フルタイムが難しくなったため、じゃぁフルタイムじゃないという前提で、そのうちの一人のお手伝いをすることになりました。当時、彼は個人としても(どのような形態で仕事をとってきていたか、とかは知らないですが)コンサルティングを行っていて、これはもう時効だろうと勝手に決めて話してしまいますが、とあるオークションサイトの立ち上げをするプロジェクトに関わっていました。そのプロジェクト自体の内容を詳しく書くことにはあまり意味がないと思うし、そしてよくは覚えてないので書きませんが、ようは、そのプロジェクトの中の一部に関するリサーチ業務を行っていた(のを手伝った)ということなんだと思います。


そう長くはたたないうちに、リサーチ等の結果判明した何らかのクリティカルな法的な理由で、このオークションサイトのプロジェクトが座礁して終わった、と記憶してますが、その過程で、イスラエル人、アメリカ人とミーティングしたり、弁護士とミーティングしたり、そういう機会があるたびに連れて行ってもらって、じゃぁその結果何か具体的なスキルを得た、とかそういうことじゃないんですが、そういう世界が遠くに感じなくなるという意味でいい経験でした。銀座のセゾンカードがあるところのカフェでよくミーティングしたなぁと懐かしく思います、、、。


ところで、あまり大きい声で言える話ではないのですが(でもこれも時効だろう)、今の会社で働くことが決まってから、次の年の就職活動が始まる時期に合わせて行われるインターンシップに応募してみたりもしていました。実際面接に行ったのは一箇所しかないのですが。某コンサルティングファームのインターンシップの面接は、1,2次面接が普通の面接、3次面接がグループディスカッションでした。1,2時面接は普通に通過して、3次面接のグループディスカッションを行う段になりました。グループディスカッションというのは、どうやら御題を与えられて、それについてグループで話し合い、最後に自分たちが至った結論を報告し、その結果およびプロセスで合否が下される、というものでした。


結果から言うと、僕は通らなかったのですが(こう聞くと面接落ちてばっかりなみたいだなぁ)、振り返れば失礼なことしていたかなぁと思います。その時点で既に就職先は決まっていたわけで、その中で言い方は悪いけど遊び半分で受けていたのはよくなかったなぁと。その態度が結局落ちた原因だと分析しているのですが。まず、準備ゼロ。こういうことが行われる、とかそういうことに関する下準備ゼロで参加。次に、しゃべりすぎ。これも準備と関係あるのかもしれないんですが、自分が言いたいことだけをいいすぎ。さらに、不適切な言動が多かった。結論を報告する段に及んで、コマネチまがいのことをかました、という、、、。さらに、3人のグループの中には、京都から新幹線で来た人もグループの中にいて、彼は京都から来てトータルで1,2分しか口を開かなかったという話。わざとじゃないんですけど、深層で余裕かましちゃってたんだろうなぁと思います。決して褒められることではないですね。


続く。







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