Monday, 10 October 2011

暇なので、回顧録。5


1.3.交換留学(大学4年一回め途中-大学4年二回目途中)(続き)

Gattonキャンパスには当時三つの寮があって、僕はそのうちの一つたしかThynne Aっていうところに住んでました。非オーストラリア人は300くらい中2人。トイレとシャワーは男女共有。他の寮には日本人の人が数人住んでいて、お世話になりました。学期は確か14週間。テスト期間は別だったかな。前述の通り、僕は三つの教科をとっていました。Agribusiness 1, Agribusiness 2, International Tradeです。

初めの二つはどちらも似ていて、農業に関連するビジネスに会いに行って、レポート及びプレゼンテーションを毎週行う、というものです。もう一つはやや普通の強化で、貿易周りの実務とか用語とか、そういう点についてに授業でした。

まず前者について話すと、隔週でバスに乗り込んで会社にいくわけです。Agribusiness 1は地域の農耕具卸しの店とか、個人からマイクロビジネスを、Agribusiness 2では上場会社、小麦粉の会社、
乳業の会社、綿花会社とか諸々です。そこで聞いた話とほかに色々業界のことなどを調べた上で、レポートを書くわけですね。

ここで大変だったのは、結局英語でした。授業内と訪問先でのインタビューが特に。まず、訪問先でのインタビュー、全く意味わからないからメモもとれないわけです。クラスメートにもそのまま当てはまることなのですが、農業従事者の人は傾向としてアクセントが強い。綺麗な英語でも意味わかめさんなのに、がやがやしたインタビューの場面で意味がわかるわけないですね。わかろうとしてた俺、ちょっと偉いと思う一方で、無理なものは無理だよな、と今なら言ってやりたい。結局インタビューのメモは他の人に写させてもらってた。でもそういうにして人と仲良くなっていったんだけど。仲良くなった、ってほどじゃないかな。サッカーとかやるときに呼んでもらったりはした。嬉しいもんだよ。

英語でプレゼンテーション、っていうのも、日本語でもあんまりやったことないのに、という感じです。ちなみに全ての授業で日本人、というか非オーストラリア人は自分一人。これは結構きつい。ぽつーんですよ。外国人に慣れてない人多かったしね。自分が発表したときは、途中から頭真っ白になって、聞いてる人は全く意味がわからなかっただろうな。自分も意味わかんなかったし。でもまぁ今思えば英語よくできない奴が頑張ってるなって程度だったんだろか。恥ずかしかったし今となってはそれこそいい思い出なんだけど、当時は毎日必死でした。でも、日本にいた頃と比べると、これでいいのかよ、ってくらい時間があった。罪悪感すら感じてたよ。

この頃は、優越感と劣等感のハザマについて葛藤するなんて余裕がなくて、(というか劣等感だけか)それはそれで幸せなことでした。

続く。

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