1.4.交換留学後-卒業まで (続き)
ベンチャー企業でやっていたことは、他の人に相談してからにする、と書いたけど、いずれにしてももう時候だろう(というか、別にConfidentialityが高いことをやっていたわけじゃないと思うし)ということで書くことにした。リスク判断は、今の仕事で一番学んだことですね。取れるリスクはとってよし。リスクゼロにするのは、いつだってコストが伴うのである。お金に限らず、時間とか、色々ね。
、、、とそこまで書いてから、何をしてたんだろうなぁ、というとよく覚えていないわけです。覚えていたのは、研修パッケージの営業をしていたこと。コールドコールから、フェア?みたいなものへの参加、アポ取り付け、アポ先へ訪問、など。ここでも実績ゼロ(受注ゼロ)のため、一切評価されるポイントはございません。ただ、経験としてはよかった。大学生で大手の会社に営業をしにいけるってやっぱりなかなかないじゃないすか。某M電気とか、某Tエンジニアリングとか某時計会社とか、結構いろいろ行きました。経験でよかったですむのはアマちゃんですがね。実際の営業の人は、受注ゼロだけど経験になった、じゃすまないしね。提案できる営業じゃないと、バリューだせないよね。営業はコンサル、っていうのはほんとだと思う。お客様に届けられるバリューの具体的な提示して、また具体的なイメージを沸かせる。そしてデリバリーはそのギャップを埋める作業。今の仕事でも一緒だけど、問題点の特定、新たなバリューの提示、が基礎なんだろうな。そして新たなバリューの提示ってやっぱ難しいと思うです。だってまわりとかベンチマークとかと比べて、じゃだめなわけでしょ。
あと、これまた印象に残ってるのは、とにかく3つ理由を言う、というトレーニング。3つ理由を言うと、それっぽく聞こえる、というのは世の人々は結構実践しているのでは。みんなでコンビニ行った時、とにかく3つ理由を言うゲームをやったなぁ。ゲームなのか、わからないけど、メリーポピンズに言わせれば、"In every job that must be done, there is an element of fun. You find the fun, and - SNAP - the job's a game!" ということなのである。ちなみに僕はメリーポピンズが好きで、マトリックスが好きで、サウンドオブミュージックも好きだ。
受注ゼロ実績のまま、色々あって、オーストラリアに戻ることになりました。
色々あって、ということはないんだけど、回顧録7で登場した今の会社の日本人の上司とも、メールで連絡を続けてました。何を書いてたかってきっと他愛のないことで、こんなことを今してる、だのそういうことです。あと、同時期に実は大学に休学届けも出していました。というのも、結局新卒採用の就職活動が始まる時期っていうのは決まってるわけで、卒業をもう1年遅らせて、当初の予定通り?投資銀行に行こうと思っていたんですな。投資銀行に行きたい理由なんて、給料が高い、入りづらい、すごいと思われる、そういう程度。それをあれこれ肉付けしてそれっぽく聞こえさせるのです。
(予断ですが、大学1年生の頃、家庭教師派遣会社-TRYみたいなところ-に面接しに行った時、なんで家庭教師をやりたいか、と聞かれ、お金です、と正直にいったら連絡は二度ときませんでした。そこで「自分が勉強してきたことで、今同じような勉強で苦労してる人の役に立ちたい」とか言えばよかったとは思うけど、そういう正解の回答っていやになっちゃう時期ってあるよね、、、。でも大人になったら-政治家を見てたらよく思うけど-尚更Politically Correct Statementを求められる。そう思うと、コミュニケーションの目的ってなんなのよ、って話になるね。コミュニケーションっていうのは、内容じゃなくてその事実と伝え方のほうがたいてい重要だって時もよくあるし、そのポイントにおいて真実を伝える、というよりは他の目的を達成するために内容が決まるtということもあるのかと)。
とにかく、休学届けは出してたわけです。それだけ。
丁度その今の上司とのメールのやり取りの中で、急にオーストラリアで働く気はあるか、ときかれました。びっくりしたけど、ダウンサイドないし(彼女も当時いなかったし失うものなし)、英語環境で、会計の仕事できて、今現在他にものすごいやりたいことがなかったし、すぐ行くと決めました。といっても、一応書類上の手続きはもろもろあったんですが。問題は、休学届けを既にだしていたので、それを撤回することでした。撤回は普通にできたんだけど、実はあと10日くらいで撤回が無理なタイミング(確か10月の半ばくらい)まで来ていて、それこそ卒論がやばし状態。急造で3,4ヶ月で仕上げ(ほんとに大したことない内容に当然なりましたが、、、)、卒業できることになったのですね。
ちょっと大学卒業からは遡って、一方で、オーストラリアに行くことを決めた時、ベンチャー企業については、卒論をするためということで、働くことをやめました。基本的にフルタイムで働いていたので、それを続けるのは無理があったから。ただ、フルタイムじゃなくて、その会社を僕の中学高校の先輩と一緒につくった人と、個人的に半ばバイト感覚で仕事することになりました。
続く。
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