1.3.交換留学(大学4年一回め途中-大学4年二回目途中)(続き)
(だんだん当初設定したカテゴリーに沿って書くことが難しくなってきたけど、本じゃないから問題ないだろう、、、。)
Gatton campusは、慣れてしまえば意外と優雅なもので、車がないとキャンパスの外へ出れないので、基本的に寮の共有ルームみたいなところ(大きいスクリーンがある部屋と、ビリヤード台がある)でぐだぐだしているわけです。なんかいっつもみんな飲んでた気がする。ここで学んだのが、ラムコークです。Bundaberg Rumのコーラ割り(なぜか他の種類のRumは一切みなかった)をしょっちゅう飲んでました。ビールは正直あまり好きでないので、甘くて飲みやすいということもあり、その後も外で飲むときはラムコークが増えました。
あと、この時期かなり体重が増えました。2002年の夏(オーストラリアの冬)にオーストラリアに来たときは70kgくらいだったのに、途中で75kgを突破しました(数ヶ月前に95kgに到達したことを考えると今と比べたら全然ましなんだけど)。
このとき仲良くしてもらったのが(この書き方がまた卑屈なんだが、自分が話す言葉をまともに話せない人と仲良くするって、結構辛抱強くないとできないと思うんだよな)、MA氏とPU氏と日本人の皆様。特にPU氏とはどっかのタイミングでシドニーに一緒に行ったり、車で買い物とかに連れてってもらってたな。あと、GattonからSt Luciaに引っ越してくるときも荷物も一緒に送ってもらった。もう9年くらいあってないから久しぶりに会ってみたいけど現在はDarwinにすんでいるようなので、そのうち、ですな。(これなんかはSection4で取り上げるべきことか)
正直このころ(Gatton Campus)の頃のことはよく憶えてない。インプットを理解できてないんだから、そりゃそうだよね。留学生の数もあとから考えたら(St Luciaキャンパスに移ってから)ものすごい少なくて、キャンパス上で一番英語できなかった自信がある。他の留学生を見てて、発音とかどうでもいいから、とにかく会話できてるひとがうらやましくてしょうがなかった。来る前は1年って長いと思ってたけど、そして1年も海外にいたら、英語ペラペラになるのではとおぼろげに思ってたけど、今でもペラペラとは言う難し。1年なんて言わずもがなです。20過ぎてからだからしょうがないよね。
ただ、そんな英語でしたが、成績はよかった、といかよくなるための努力はした、、、。これは後々まで続くことなんだけど、大学の勉強のいいところの一つとして、がんばったら結果はうそをつかないということ。最先端の研究とかじゃないからね。言葉をちゃんと話せない、理解できない、というところから、見下されないためには、わかりやすく自分が優秀であることを示す必要があると思ってきた(今でもそう思ってるけど)。実際優秀か、頭いいか、とかそういう問題とは別で、「馬鹿だと思われない」というところに努力をした。こう書くと、ひどい卑屈だね。
やっぱり、「日本だったらこんなはずないのに」、っていう思いと、「じゃぁ日本に帰ってちやほやされたいの?(少なくとも高校とか大学の名前を言うと、オー、と言われることが実際問題多いわけです)、違うっしょ」という思いが交差する日々でした。
この一連の悩みとその悩みを解決するための努力も、全てはくだらない劣等感(これはまさしく優劣感の裏返し)からもたらされるものなんだけど、ただ推進力にはなってたわけです。今現在はむしろこういう感情がなくなってきて、何を推進力に使うか、という問題があるわけです。
Gattonキャンパスを後にして、St Luciaのユニット(アパート)でシンガポール人の友達カップルと住むためにBrisbaneに出てきたわけです。Brisbaneがすごく都会に感じたことをよく憶えてます。
続く。
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