1.3.交換留学(大学4年一回め途中-大学4年二回目途中)
プーアル茶を飲みすぎたせいか、体は休みたいのに寝れないため、とりあえず書き続けることにした。といいつつ、これをポストするまでには至らないだろうな、、、。
当時まだ成田→ブリスベンの直行便があった。逆に成田→ゴールドコーストのジェットスターなぞなく、結構高かったように思う。飛行機代の話ね。ブリスベンの空港につくと、大学からお迎えの人が着ていた。これって、大学で雇ったバイトみたいな人だったんだろうけど、当然’ガイジン’さんと二人っきりで車中なわけですよ。何話してたかまるで覚えてないす。てか、たぶんがんばったけっかほとんど会話になんなかったんだろうな。
ブリスベンの空港からほぼブリスベンの市街地を素通りする形で、片田舎のGattonというUQの農学系の学部用のキャンパスに行ったので、Gattonで受けたショックのほうが記憶には鮮やかなのですが、一方、土地勘もある今なら場所がわかる、たとえばHamiltonとか、空港からブリスベンに向かう途中の景色がきれいだったのはよく覚えてる。日本の夏からブリスベンの冬にきたわけだけど、空気のにおいがちがったことも覚えてる。今でもこっち戻ってきたとき思うけどね。植物のせいか温度とか湿度のせいか、それとも人がする料理のにおいなのかわからないけど、土地ごとに独特のにおいってあるよね。慣れるまでは、そんなのがHome Sickの原因になったりするんじゃないかなんて思ったりする。
Gattonは前述のとおりUQの農学系の学科の授業が主に行われるキャンパスで(たぶん)、日本で農学部に所属していた僕は、特に何も考えずこのキャンパスに行くことにしたのであった。日本の大学は一学期あたりものすごい数の授業をとるけど、こっちは普通4教科で、ビザの関係上、最低3教科はとらないといけない、という感じだった。これはたぶん今でもそう。なんたらの学科の教授に会いにいって、どの教科をとるか相談とかして、薦められるがままにいくつかの授業を選んだ。Agribusiness 1, Agribusiness 2とInternational Tradeかそんな感じだったと思う。
ただ、授業を選ぶ、とかそういうのの前に問題があった。Gattonでは、キャンパス内にある寮に住むことになっていたんだけど、特に理由もなく、授業が始まる直前に行くのはやだなぁと思っていたので、1週間くらい前につく様にいった。それがとにかく問題。そもそも牢獄のような寮に、誰もいない、星空きれい、牛モーモー言ってる、という状態。学期が始まるまで食堂は開かないし、食べ物はあるってきいたけど、言われた場所にいったら何もないし(ただし、このあたりは英語力的に何か僕が勘違いしていた可能性は大いにあるのですが)、とぼとぼ30分くらい歩いて一番近くにあるマクドナルドでチキンナゲットかって食べたた。毎日。チキンナゲットを注文してた理由も、発音しやすいのと、マヨネーズ抜きにしてとかセットの詳細を言う(ジュース何にする、とかそういうのも含め)、とか言うのが面倒(ってかちょっと怖いというか、初めて海外いったときのことわかる人おおいでしょ?)、とかそんなチキンな理由です。
一度泣きました。あと、なんとかして電話がかけられるようになったあと、人と話して、もう一度。一人でがんばろう、って気を張ってたのが崩れて涙がでてきた。俺、英語通じないかもしれないけど、とにかく誰か人間がいて欲しいってそのときすごいおもったのを覚えてる。全然話違うけど、大学2年生のとき苫小牧から仙台までフェリーで行ったことがあって、そのときの海の怖さに似てるかな。夜の海ってまじ怖い。
あと、初めてキャンパス上で人に話しかけられたとき、何言ってるかまったくわからなかった。How are ya going mate?って言ってたんだと思う。てか、わかんないよ。きっと。アメリカ人もさ。だから、今の僕の英語も、きっと日本で英語を学んだ人にはとてもわかりづらいと思う(それを裏付ける実体験もあり)。
続く。
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