1.3.交換留学(大学4年一回め途中-大学4年二回目途中)(続き)
まだ交換留学編は続く。長いね。
とにもかくにも、2月は日本に一時帰国しました。留学に少しでも憧れをもったことがある人ならわかると思うけど、なぜか日本の空港に久々についたときの高揚感というのはなんなのでしょうか。「俺、日本に住んでて海外に旅行して帰ってきたんじゃないんだぜ、海外に住んでてちょっと日本に帰ってきてんだぜ」みたいな感じなのでしょうか。でも、それでなんでちょっと自分の等級が上がったような気がしてしまうのでしょう。留学がどれだけ珍しいのっていうとたいしたことないわけで、じゃぁたいしたことない(つまりしてる人なんてくさるほどいる)から絶対的な意味でたいしたことないかっていうときっとそういうわけじゃないのだと思うけど。とにかく、誰もきにしてないョ!と自分で後から突っ込みを入れたくなるくらい、すごい人間に変身したと思ってしまうのです(ちなみに、数回でそういう思いもなくなります)。
他人と比べての優越感・劣等感、という軸からはずれたくてしょうがないんだけど、競争(ようは勝つか負けるか)ではない形で内部から湧き上がるモチベーションをどう生み出すのか、というのがテーマになってきています。流れとして。本筋と外れますが。
えっと、今でも覚えてますが、説明会に行ったのが、住友信託銀行で(これはほんと説明会のみ)、あとはソロモンブラザーズ(ちょうどその頃日興シティ証券になった)の説明会に行きました。結局一次面接に行ったのはソロモンブラザーズだけで、二次面接以降についても、大学の学期が始まってしまうということで、6月に帰国してからやってもらう、ということになりました。留学の授業を休んで就職活動ってやっぱおかしいじゃないですか。
そして、ブリスベンに戻って2学期目をSt Luciaですごすわけですが、流れ的にこの就職活動がどうなったかだけ先に記しておきます。一言で言うと完全になめていたのですが、自分が面接で落とされるわけないんだから、2社以上受ける意味ないと思っていたんですね。これはかなりの度合いで信じてました。ただ、現実には、実はソロモンブラザーズも志望していた部門は既に必要な新卒採用の人数は通常の就職活動時期(少なくとも6月前には当然決まっているわけで、、、)に確保済みで、ようは、よほどたいした奴じゃない限りはとらないわけです。結果から言うと、たいした奴じゃなかったわけですw。
実は、6月に日本に帰って、そこから面接をしてもらい、というかおそらく10回くらい面接をして、部門のヘッドまで面接して(今でも印象に残っているんだけど)、「キミの評価が二分しててねー」という話だったわけです。部門のヘッドとの面接の後で、今度の面接はなんと白人さん。交換留学帰りとはいえ、結局今の英語力(今、というのはこれを書いている現在)よりはるかにShitな英語なわけで、そんな状態で、"what do you think about the deflation in japan"って聞かれても、答えられないわけです。そして死亡フラグが立ちました。一社しか受けないというのは今振り返れば愚かな上、大した傲慢さだなと思いますね。これも、成田空港効果に近いのかもしれません(でも、実際のところは英語は大して話せない、というところから、成田空港効果がいかに実力を反映してないかを物語る)。
ただ、思いやりなのかどうか、という点は別としても、両親は、僕が、よく言えばその世代の「トップ人材が受ける」悪く言えば「流行」ったという理由で受けていた(色々当時理由はこじつけてたけど、実際ははそういうことだったと思う)「いわゆる外資の証券会社」に落とされたということで、少なからずほっとしたような話をしてくれました。実際の仕事内容はよくわからないけど、みんなが行きたい人気の職場が実際に自分に合ってるか合ってないかは別問題なのは確か。まぁ、これ、普通に考えて思いやりだよなwちなみに、大学受験のときも、同じような理由でほっとされている。
というわけで、話はSt Luciaの時代に戻ります。
続く。
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