大学3年から学部の専門にうつるわけだけど、大学1,2年の時の成績でどういう学部・学科に行きたいか決められるわけです。今思うと恐ろしいくらい1,2年のとき何も考えてなかったかよくわかる。普通何を勉強したいとか、将来どうなりたいとか、そいういうの考えるでしょ。ただ単にいける学科の中から選らんだだけ、それが農業経済(厳密には農業構造経済学科、だったかな)。これまた結果から言うと、この動きがあったから今の人生があるわけなんだけど、だからといって、それがいい動きだったかどうだったか、というのは別の話。そうじゃなかったら、という選択肢の結果はしらないのだから。そんなことを考えてみるのは面白いかもしれない一方であまり意味はないよな。意味がないってどういうとか、っていうと、だから今とか将来とるべきアクションに影響を及ぼさないという思う、ということ。
とにかく、大学3年になって、理由はわからないんだけど、まずはまじめに勉強してみよう、と決意しました。本当に理由は覚えてない。たぶん、1,2年を無駄に過ごした、という自覚があって、何かしようと思ったんだけど、何をしていいかわからなかったんだと思います。仲良かった友人(過去形なのは死んでしまったから)は、自分と一緒にぐうたらしていたはずだったのに、当時イケイケだったOn the edge(後のライブドア)で働いていて、がんがん稼いでたし(確か同じ時期に休学して、ライブドアの部長までやってた)、高校から直接アメリカの大学に行った友人は、アメリカの中でもいわゆる有名な大学に編入したり、自分が置いていかれた、という感覚があったんだと思う。ちなみに、今でも置いていかれている、という感覚はあります。
そういうわけで、とりあえず授業には全部出て、しかも一番前の席に座って、積極的に発言して、もろもろの活動にも参加して、テストの勉強もちゃんとやってみたのが、大学3年でした。勉強は楽しかった。成績もよかった、というのもあるけれど、物事に積極的にかかわることで、同じことが面白く感じたりする、と実感できたのはよかったな。あと、自分がアクションを起こすと、何か変わる、面白いことがおこる、っていう風に思えるようになってきたのもこのころです。このあたりから人生が変わってきた、という実感はあります(ただしここ数年は特にアクションをとってない、という実感もあり)。
何を実際にやったか、というとたいしたことはやってないんだけど、たとえば実習(最近放射線関連でよく話題に上る飯舘村における農村調査)に積極的に関与する、とか地域インターンシップでまた他の農村(山梨県早川町)に行ったりするとか。
これを後押しする形で、確か、大学3年の夏だったと記憶してるんだけど(暑かったような記憶があるから)、高校から直接アメリカの大学に行った友人と連絡をとっていて、その友人でアメリカに行っている友人と知り合う機会があった。当時僕は(おそらく前述のPromにおける最悪?の体験から)、英語に対するコンプレックスがあって、とにかく誰かが英語ができる、というだけでものすごい劣等感を感じたし、親には文句言ったし(失礼な話なんですが)、なんで自分は英語環境で勉強する機会を小さいころ得ることができなかったんだろう、と悔しく思っていました。英語っていうところが、ややIssueの定義の仕方が矮小すぎる気はするんですが、当時はとにかくその’特定の点’について思っていたわけ。留学してみたい、ってすごい思っていました。高校生のころ、推薦でPrincetonいける、って掲示板に書いてあったなー。なんで行かなかったのかなーとか思っていたのがこの頃でした。ちなみに、時期は前後しますが(正直よく覚えてない)、英語圏の大学・大学院に行きたいなら成績はある程度いい成績をとっておいたほうがいい、という話をきいたのもまじめに勉強する、というの姿勢を裏づけたように覚えてます。
留学するにはお金が必要だし、そんなお金はない、ということで、大学の留学課みたいなところにいって、奨学金がもらえるかきいたら、ある、って言われて、名前かいてきたんですね。ゼミの担当教官だった先生も賛成してくれました。実は一回その奨学金がもらえない、という通知がきて、まぁしょうがないかな、と思ってたんですが(名前書いただけだし)、ある日その先生が興奮して僕に会いにきてくれて、おい、奨学金もらえることになったぞ、と。それで留学することになりました。
当時は当然アメリカかUKに留学いくものだと思っていたんですが、奨学金の性質上、環太平洋の大学にしかいけず、英語圏の大学がクイーンズランド大学(UQ)だけだったのです。正直乗り気じゃなかったんですが、実はその担当教官だった先生はUQで数年前に客員教授をやっていたこともあり、薦められてUQに行くことになったわけです。それまでオーストラリアに行く気もなかったですし、ブリスベンなんて聞いたこともしらなかったんですが、そこで初めてオーストラリアと縁ができたわけです。行くと決まってから、また長い話になります。
続く。
これを後押しする形で、確か、大学3年の夏だったと記憶してるんだけど(暑かったような記憶があるから)、高校から直接アメリカの大学に行った友人と連絡をとっていて、その友人でアメリカに行っている友人と知り合う機会があった。当時僕は(おそらく前述のPromにおける最悪?の体験から)、英語に対するコンプレックスがあって、とにかく誰かが英語ができる、というだけでものすごい劣等感を感じたし、親には文句言ったし(失礼な話なんですが)、なんで自分は英語環境で勉強する機会を小さいころ得ることができなかったんだろう、と悔しく思っていました。英語っていうところが、ややIssueの定義の仕方が矮小すぎる気はするんですが、当時はとにかくその’特定の点’について思っていたわけ。留学してみたい、ってすごい思っていました。高校生のころ、推薦でPrincetonいける、って掲示板に書いてあったなー。なんで行かなかったのかなーとか思っていたのがこの頃でした。ちなみに、時期は前後しますが(正直よく覚えてない)、英語圏の大学・大学院に行きたいなら成績はある程度いい成績をとっておいたほうがいい、という話をきいたのもまじめに勉強する、というの姿勢を裏づけたように覚えてます。
留学するにはお金が必要だし、そんなお金はない、ということで、大学の留学課みたいなところにいって、奨学金がもらえるかきいたら、ある、って言われて、名前かいてきたんですね。ゼミの担当教官だった先生も賛成してくれました。実は一回その奨学金がもらえない、という通知がきて、まぁしょうがないかな、と思ってたんですが(名前書いただけだし)、ある日その先生が興奮して僕に会いにきてくれて、おい、奨学金もらえることになったぞ、と。それで留学することになりました。
当時は当然アメリカかUKに留学いくものだと思っていたんですが、奨学金の性質上、環太平洋の大学にしかいけず、英語圏の大学がクイーンズランド大学(UQ)だけだったのです。正直乗り気じゃなかったんですが、実はその担当教官だった先生はUQで数年前に客員教授をやっていたこともあり、薦められてUQに行くことになったわけです。それまでオーストラリアに行く気もなかったですし、ブリスベンなんて聞いたこともしらなかったんですが、そこで初めてオーストラリアと縁ができたわけです。行くと決まってから、また長い話になります。
続く。
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