1.4.交換留学後-卒業まで (続き)
「暇なので、回顧録」と書いた手前、特に暇でもないと書く気がしなかったのだけど、今日友人のK澤氏から書けという要請が来たので書くことにします。
正直どこまで何を書いたか覚えていなかったんだけど、実はちょっと前のを読み返すと、そもそも何を書いていいかよくわからなくなってきていたのと、ある特定の時期についての記憶が非常に曖昧になっていることがあり、ようはストラクチャーだって書けなくなってきたのも原因だった、、、気がする。でもとにかく書いてみる。書き始めると意外と思い出すものだ、、、。
2度目の留学件就職(というか移住)という時期は、混沌としてました。いや、だからよく覚えてないんだな。混沌の要素としては、卒論(休学届けを9月に出して、10月に撤回したものだから、準備期間がほぼなし)、バイト(というか、前回話したオークションサイトの件)、英語不安(前回さらっとTOEFL受けなおした、と書いたけど、そういう問題じゃぁありません)等。これは勉強・仕事とは関係ないのだけど、高校の同窓会の開催(結果的にはよかったけどややぐだぐだな幹事でした)もある時期の忙しさを助長したかと。
卒論については、大学のPCルームで他の人と一緒に製本してた、、、ような記憶が。バイト、については前述のとおり。英語不安については、、、これまた覚えてない。とにかく混沌として充実してた、という思い出だけはありますな。これ、全然回顧できてないね。面白いくらい過去のことを忘れている、という事実。そんな昔じゃないのに。
うんうんうなっても覚えてないものは覚えてないものは覚えてないので、そろそろもう豪州に帰ってきたときの話をしようと思いますが(特にカテゴリーを勉強・仕事、としているので、あまりエピソードなし)、一つだけ今思い出した。
実は僕は大学1,2年の教養学部では成績微妙者だったのですが、3年生になってからまじめに勉強したせいか、成績は非常によかったのです。なぜいい成績をとろうと思ったかについては前述したと思うので再びは触れませんが(実際後で役に立ってると思う)、とりあえず同じ学科の中で成績はトップ(ただしタイ)でした僕のいた学部では、持ち回りの学科の成績トップの人が卒業証書を代表でもらうことになっている(らしい)のですが、僕はどうやら平均ではトップでも『優」の数がもう一人のトップの人より少なかったので(これは交換留学のときの単位が互換されたされたときに日本の大学で成績がつかなかったので)、残念ながら代表でもらうことにはなりませんでした。
まぁどうでもいい話なんですが、そいういうわけで、それだったらいいや、と思って大学の卒業式には出席せず、謝恩会に顔を出して卒業証書だけもらいにいきました。きっと意外としこしこ勉強したのを認めてもらいたかったんでしょうが、今は卒業式でてもよかったのかなぁとは思います。でも、これはその後取得する学位・資格すべてに通じることですが、卒業式とか資格授与式とかにはまったく興味が持てず(10%くらいそれをクールだと思っているフシは否めませんが)、結局全部郵送してもらってます。
でも、ひそかに卒業証書を学部代表でもらうってのはやってみたかったなー。
続く。
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