1.5.大学卒業後、再渡豪 (続き)
繰り返しになるけど、「暇なので」と題に書いてあるが必ずしも暇ではないです。でもまぁ書く暇がある、という意味では暇か。結果としてすぐ書くスピードが遅くなるので、もしも続きが読みたいという人は是非催促してください、、、。
とにかく僕のオーストラリアでの2回目の生活は始まりました。レズビアンの彼女たちとの居候の期間は終わり、僕の友人の友人(だったような気がする)の家で今度は住むことになりました。Greenslopesというところ。ここは、いい思い出がないので書きたくないのですが回顧録なので憶えている限り書いてみようと思います。
唯一よかったのは家賃。週70ドルでした。今から考えるとものすごい安いけど、当時の感覚でも安かったです。一つ部屋があって、一応机とベッドがあって。あとは、基本的に非常にいまいち。というか、一緒に住んでた‘友人の友人’がその妹と一緒に住んでいて、僕はそこの空き部屋を借りるような形になっていたのですね。あぁ、何がいやだったかというと、まず、多勢に無勢(ようは、僕の立場は居候に極めて近い形であり、住空間に対する権限がほぼゼロ-という風に少なくとも僕は感じていました)。あとは、出来上がった空間への侵入者的な扱い(を受けているように感じていた)。ようは、自分の部屋以外にいるときにとにかくリラックスできないわけですよ。話すこともないし。てかまぁ英語的に微妙だったし、こっちから話しかけるような感じでもなかったのが原因なのかもしれないですが。あと、猫がいたんだけど、一度猫のう○こを素足で踏んでしまったことも。今のうちの猫はかわいいけど、あの猫は憎い。憶えてないけど。さらに、大学までも遠かったし、、、(車がない当時の感覚では特に)。
その頃、大学院が7月に始まるまで(オーストラリアでは、大学は2学期せいで、1学期目は2月の終わりから6月の途中まで、2学期目は7月の終わりから11月の途中までで、1学期目からでも2学期目からでも入学可能)、大学の付属の英語学校に3ヶ月だけ通っていました。
一瞬ここで脱線して、当時の英語学校感について少々。今はそこまで思わないのですが、とにかく英語学校というものに対して、「2流」という印象を持っていました。英語学校いくこと、かっこ悪い、が「いじめ、かっこ悪い」並みにしみこんでいたわけです。これは、なんでだかなんとなくわかる。おそらく理由として、友人で英語を話せる人がいる、英語で勉強してる人がいる、という事実と比べて英語「を」勉強する、ということが段階として「下のこと」だという思いがあって、逆にそういう風に自分が思っているものだから、「下」に思われたくない、という動機で英語学校に行きたくなかったわけです。人に聞かれても、「大学院が始まるまでの間だけだし」みたいな感じですな。ようはかっこつけですよ。英語できないんだから(てか、マジ自分で言うのもほんとアレだけど自分の学歴でこれって日本の教育どうよ!って思いますけど)、できないなりに恥かけよ、って今は思うんですけどね、、、。
ちなみに、英語学校に実際に行ってから大分印象が変わりました。もちろんある程度上のクラスだったから、っていうこともあるのだろうけど、意外と役に立ちそうだなぁと当時思って、それから英語学校に対する偏見は特になくなりました。まぁその時点に至るまで英語学校というものに通ったことがない、という事実にどこか誇りを持っていたようなところもあるので、それも偏見の原因になっていたのかもしれません。
まぁ、とにかく英語学校に3ヶ月通って、その間はうんちみたいな仕事を会社でさせていただいておりました。
続く。
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