1.5.大学卒業後、再渡豪
おそらくもろもろの送別会(のようなもの)をしてもらった後で、渡豪する日がきた。といっても、正直これもまたよく憶えてない。ぜんぜん回顧できてないな、、、。あの時は親も一緒に空港まできてくれたんだったけな。高校のバスケ部の友達(+後輩一人)が空港に来てくれたのは憶えてる。というか、その写真があったからなんだけどね。写真のおかげでなんとなく憶えてるんだよな。ていうか、本当に憶えてるのか写真のおかげで事実を記憶しているのか、どっちでしょう。
ふと思い出すのが、高校の友人のN田氏がアメリカの大学に行くために飛び立つとき、これまたバスケ部の友達が成田空港に大挙して見送った気が。このときは見送る側だったけど。そんでもって彼が出国ゲートに消えたあと、みんなで屋上にいって適当に飛行機を選んで、彼がその飛行機に乗っていると仮定し、その飛行機に手をふって空港をあとにした、、、。そんなエピソードがありました。
さて、飛行機の中で何を考えていたか、というと、確か交換留学に行くときに飛行機で感じていたことの差を考えていたような気がする。交換留学のとき、1年間日本から離れて暮らす、ということに対して、ものすごい長い期間だと思っていたのが、2回目(しかもほぼ永住の方向)には逆にあまりなんとも感じなかったのだった。ただ、それよりも、初めて会社で働くということ、そして英語で働くということに対してびびりまくっていたのは当然のことであった、、、。
留学したことがある人ならわかると思うけど、特にある程度の年齢になってからだと特に、1年で自分が期待してたほど言葉はましにならないってこと。完全にスラムダンクの桜木花道のセルフイメージ状態ですな。いや、セルフイメージと実際の姿との差に辟易して、焦って、ということ。桜木花道も地道なトレーニングでシュート練習をしたのと同様、地道な作業によってしか向上しないもの、というのもある、、、。さらにいうと、10年いても地道な作業を怠ると何も変わりません。うーん。偉そうだw 完全に自戒をこめたメッセージになってしまった。
とにかく、いいたかったのは、いくらTOEFLで300点中270点以上とってても、だめなものはだめ、ということです。1年間交換留学した後でもね。もちろん以前よりはましになったとしてもね。電話するときとか電話かかってきたときの恐怖感、わかる人いっぱいいるでしょう。あの恐怖感を感じながら飛行機に乗っていたのです。
続く。
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