Thursday, 3 November 2011

暇なので、回顧録。13

1.4.交換留学後-卒業まで (続き)


「暇なので、回顧録」と書いた手前、特に暇でもないと書く気がしなかったのだけど、今日友人のK澤氏から書けという要請が来たので書くことにします。


正直どこまで何を書いたか覚えていなかったんだけど、実はちょっと前のを読み返すと、そもそも何を書いていいかよくわからなくなってきていたのと、ある特定の時期についての記憶が非常に曖昧になっていることがあり、ようはストラクチャーだって書けなくなってきたのも原因だった、、、気がする。でもとにかく書いてみる。書き始めると意外と思い出すものだ、、、。


2度目の留学件就職(というか移住)という時期は、混沌としてました。いや、だからよく覚えてないんだな。混沌の要素としては、卒論(休学届けを9月に出して、10月に撤回したものだから、準備期間がほぼなし)、バイト(というか、前回話したオークションサイトの件)、英語不安(前回さらっとTOEFL受けなおした、と書いたけど、そういう問題じゃぁありません)等。これは勉強・仕事とは関係ないのだけど、高校の同窓会の開催(結果的にはよかったけどややぐだぐだな幹事でした)もある時期の忙しさを助長したかと。


卒論については、大学のPCルームで他の人と一緒に製本してた、、、ような記憶が。バイト、については前述のとおり。英語不安については、、、これまた覚えてない。とにかく混沌として充実してた、という思い出だけはありますな。これ、全然回顧できてないね。面白いくらい過去のことを忘れている、という事実。そんな昔じゃないのに。


うんうんうなっても覚えてないものは覚えてないものは覚えてないので、そろそろもう豪州に帰ってきたときの話をしようと思いますが(特にカテゴリーを勉強・仕事、としているので、あまりエピソードなし)、一つだけ今思い出した。


実は僕は大学1,2年の教養学部では成績微妙者だったのですが、3年生になってからまじめに勉強したせいか、成績は非常によかったのです。なぜいい成績をとろうと思ったかについては前述したと思うので再びは触れませんが(実際後で役に立ってると思う)、とりあえず同じ学科の中で成績はトップ(ただしタイ)でした僕のいた学部では、持ち回りの学科の成績トップの人が卒業証書を代表でもらうことになっている(らしい)のですが、僕はどうやら平均ではトップでも『優」の数がもう一人のトップの人より少なかったので(これは交換留学のときの単位が互換されたされたときに日本の大学で成績がつかなかったので)、残念ながら代表でもらうことにはなりませんでした。


まぁどうでもいい話なんですが、そいういうわけで、それだったらいいや、と思って大学の卒業式には出席せず、謝恩会に顔を出して卒業証書だけもらいにいきました。きっと意外としこしこ勉強したのを認めてもらいたかったんでしょうが、今は卒業式でてもよかったのかなぁとは思います。でも、これはその後取得する学位・資格すべてに通じることですが、卒業式とか資格授与式とかにはまったく興味が持てず(10%くらいそれをクールだと思っているフシは否めませんが)、結局全部郵送してもらってます。


でも、ひそかに卒業証書を学部代表でもらうってのはやってみたかったなー。


続く。

Monday, 17 October 2011

暇なので、回顧録。12

1.4.交換留学後-卒業まで (続き)


さて、とりあえず書類諸々の話(雇用契約書とかそういう奴ね)は終了し、ただ今度はオーストラリアで会計士の資格(多くの会計事務所では、Chartered Accountantをとらされます。企業の経理の人は、CPAが多いように思います)をとるために、オーストラリアの関連する学位が必要で(特に僕の場合、日本の大学の学科がほぼ無関係なので)、また願書だのなんだの、という話が必要になりました。そして、TOEFLももう一度受けなおし。さらに、前回(交換留学のとき)みたいに、英語が全くできないんじゃいくらなんでもまずいだろう、ということで(留学の後日本にしばらくいた間は、比較の問題でできると思ったり、あとは1年留学していた、という事実自体と自分の駄目さに向き合わなくていいばかりに、意外と大丈夫だと思いがち)、どしたもんだ、と思っていました。


こっちの準備のほうはさておき、そして実際の卒論の準備には、触れることなく(触れる気もなく)、前述の通り、僕が働かせてもらっていたベンチャー企業は、二人の某コンサルティングファーム出身の人が立ち上げえた会社でした。で、フルタイムが難しくなったため、じゃぁフルタイムじゃないという前提で、そのうちの一人のお手伝いをすることになりました。当時、彼は個人としても(どのような形態で仕事をとってきていたか、とかは知らないですが)コンサルティングを行っていて、これはもう時効だろうと勝手に決めて話してしまいますが、とあるオークションサイトの立ち上げをするプロジェクトに関わっていました。そのプロジェクト自体の内容を詳しく書くことにはあまり意味がないと思うし、そしてよくは覚えてないので書きませんが、ようは、そのプロジェクトの中の一部に関するリサーチ業務を行っていた(のを手伝った)ということなんだと思います。


そう長くはたたないうちに、リサーチ等の結果判明した何らかのクリティカルな法的な理由で、このオークションサイトのプロジェクトが座礁して終わった、と記憶してますが、その過程で、イスラエル人、アメリカ人とミーティングしたり、弁護士とミーティングしたり、そういう機会があるたびに連れて行ってもらって、じゃぁその結果何か具体的なスキルを得た、とかそういうことじゃないんですが、そういう世界が遠くに感じなくなるという意味でいい経験でした。銀座のセゾンカードがあるところのカフェでよくミーティングしたなぁと懐かしく思います、、、。


ところで、あまり大きい声で言える話ではないのですが(でもこれも時効だろう)、今の会社で働くことが決まってから、次の年の就職活動が始まる時期に合わせて行われるインターンシップに応募してみたりもしていました。実際面接に行ったのは一箇所しかないのですが。某コンサルティングファームのインターンシップの面接は、1,2次面接が普通の面接、3次面接がグループディスカッションでした。1,2時面接は普通に通過して、3次面接のグループディスカッションを行う段になりました。グループディスカッションというのは、どうやら御題を与えられて、それについてグループで話し合い、最後に自分たちが至った結論を報告し、その結果およびプロセスで合否が下される、というものでした。


結果から言うと、僕は通らなかったのですが(こう聞くと面接落ちてばっかりなみたいだなぁ)、振り返れば失礼なことしていたかなぁと思います。その時点で既に就職先は決まっていたわけで、その中で言い方は悪いけど遊び半分で受けていたのはよくなかったなぁと。その態度が結局落ちた原因だと分析しているのですが。まず、準備ゼロ。こういうことが行われる、とかそういうことに関する下準備ゼロで参加。次に、しゃべりすぎ。これも準備と関係あるのかもしれないんですが、自分が言いたいことだけをいいすぎ。さらに、不適切な言動が多かった。結論を報告する段に及んで、コマネチまがいのことをかました、という、、、。さらに、3人のグループの中には、京都から新幹線で来た人もグループの中にいて、彼は京都から来てトータルで1,2分しか口を開かなかったという話。わざとじゃないんですけど、深層で余裕かましちゃってたんだろうなぁと思います。決して褒められることではないですね。


続く。







Saturday, 15 October 2011

暇なので、回顧録。11

1.4.交換留学後-卒業まで (続き)


ベンチャー企業でやっていたことは、他の人に相談してからにする、と書いたけど、いずれにしてももう時候だろう(というか、別にConfidentialityが高いことをやっていたわけじゃないと思うし)ということで書くことにした。リスク判断は、今の仕事で一番学んだことですね。取れるリスクはとってよし。リスクゼロにするのは、いつだってコストが伴うのである。お金に限らず、時間とか、色々ね。


、、、とそこまで書いてから、何をしてたんだろうなぁ、というとよく覚えていないわけです。覚えていたのは、研修パッケージの営業をしていたこと。コールドコールから、フェア?みたいなものへの参加、アポ取り付け、アポ先へ訪問、など。ここでも実績ゼロ(受注ゼロ)のため、一切評価されるポイントはございません。ただ、経験としてはよかった。大学生で大手の会社に営業をしにいけるってやっぱりなかなかないじゃないすか。某M電気とか、某Tエンジニアリングとか某時計会社とか、結構いろいろ行きました。経験でよかったですむのはアマちゃんですがね。実際の営業の人は、受注ゼロだけど経験になった、じゃすまないしね。提案できる営業じゃないと、バリューだせないよね。営業はコンサル、っていうのはほんとだと思う。お客様に届けられるバリューの具体的な提示して、また具体的なイメージを沸かせる。そしてデリバリーはそのギャップを埋める作業。今の仕事でも一緒だけど、問題点の特定、新たなバリューの提示、が基礎なんだろうな。そして新たなバリューの提示ってやっぱ難しいと思うです。だってまわりとかベンチマークとかと比べて、じゃだめなわけでしょ。


あと、これまた印象に残ってるのは、とにかく3つ理由を言う、というトレーニング。3つ理由を言うと、それっぽく聞こえる、というのは世の人々は結構実践しているのでは。みんなでコンビニ行った時、とにかく3つ理由を言うゲームをやったなぁ。ゲームなのか、わからないけど、メリーポピンズに言わせれば、"In every job that must be done, there is an element of fun. You find the fun, and - SNAP - the job's a game!" ということなのである。ちなみに僕はメリーポピンズが好きで、マトリックスが好きで、サウンドオブミュージックも好きだ。


受注ゼロ実績のまま、色々あって、オーストラリアに戻ることになりました。


色々あって、ということはないんだけど、回顧録7で登場した今の会社の日本人の上司とも、メールで連絡を続けてました。何を書いてたかってきっと他愛のないことで、こんなことを今してる、だのそういうことです。あと、同時期に実は大学に休学届けも出していました。というのも、結局新卒採用の就職活動が始まる時期っていうのは決まってるわけで、卒業をもう1年遅らせて、当初の予定通り?投資銀行に行こうと思っていたんですな。投資銀行に行きたい理由なんて、給料が高い、入りづらい、すごいと思われる、そういう程度。それをあれこれ肉付けしてそれっぽく聞こえさせるのです。


(予断ですが、大学1年生の頃、家庭教師派遣会社-TRYみたいなところ-に面接しに行った時、なんで家庭教師をやりたいか、と聞かれ、お金です、と正直にいったら連絡は二度ときませんでした。そこで「自分が勉強してきたことで、今同じような勉強で苦労してる人の役に立ちたい」とか言えばよかったとは思うけど、そういう正解の回答っていやになっちゃう時期ってあるよね、、、。でも大人になったら-政治家を見てたらよく思うけど-尚更Politically Correct Statementを求められる。そう思うと、コミュニケーションの目的ってなんなのよ、って話になるね。コミュニケーションっていうのは、内容じゃなくてその事実と伝え方のほうがたいてい重要だって時もよくあるし、そのポイントにおいて真実を伝える、というよりは他の目的を達成するために内容が決まるtということもあるのかと)。


とにかく、休学届けは出してたわけです。それだけ。


丁度その今の上司とのメールのやり取りの中で、急にオーストラリアで働く気はあるか、ときかれました。びっくりしたけど、ダウンサイドないし(彼女も当時いなかったし失うものなし)、英語環境で、会計の仕事できて、今現在他にものすごいやりたいことがなかったし、すぐ行くと決めました。といっても、一応書類上の手続きはもろもろあったんですが。問題は、休学届けを既にだしていたので、それを撤回することでした。撤回は普通にできたんだけど、実はあと10日くらいで撤回が無理なタイミング(確か10月の半ばくらい)まで来ていて、それこそ卒論がやばし状態。急造で3,4ヶ月で仕上げ(ほんとに大したことない内容に当然なりましたが、、、)、卒業できることになったのですね。


ちょっと大学卒業からは遡って、一方で、オーストラリアに行くことを決めた時、ベンチャー企業については、卒論をするためということで、働くことをやめました。基本的にフルタイムで働いていたので、それを続けるのは無理があったから。ただ、フルタイムじゃなくて、その会社を僕の中学高校の先輩と一緒につくった人と、個人的に半ばバイト感覚で仕事することになりました。


続く。





暇なので、回顧録。10

1.4.交換留学後-卒業まで


6月に帰国後、2月に面接を受けていた会社と続きの面接を受けて、結果落ちた、という話はしました。ここで、若干計画が狂ってしまったので、どしたものかなぁということで、とりあえずよくわからないけど、そのとき丁度第一期生の募集が始まっていたロースクールに出願してみました。というか、適性検査みたいなやつですね。理系の学生として大学に入学して、いわば文転して(この理系・文系の区分けについては否定的な見方もありますが、その区分けについて話しているわけではないので、ここでは普通にコンセプトとして使用します)、留学して、しかもやりたいことよくわからない、と収集つかなくなってきてたわけなのです。かといって大学ももうすぐ卒業してしまうし、勉強は基本的に嫌いじゃないので(勉強をしなければいけない状況で、し始めるまでの時間は嫌いですが)、しがみつける何かにしがみつこうとした、というのおそらくほんとのところだったんだろうな。かっこはつくじゃないですか、一応。(いや、法律に興味がなかったわけじゃないけど、こういう側面は決して否定できない、ということ)


基本的に、法律経験者(法学部出身者ってことなのかな)以外は、3年制のコースにはいって、入学時には法律の知識は求められない、と。あと、基本的には論理性とかそういうののテストと、多様性?を重視するということで色々なバックグラウンドを持った人を募集するということで、いいんじゃない、と思ったわけです。論理性のテストっていうのは、昔小学生の頃よく読んでた「頭の体操」みたいな感じなのです。だから、そんなに大変じゃないというか、ゲーム感覚。こういうこと書くと、「なんだこいつは自分が頭いいっていうことを誇示したいのか」ととられがちでまぁそう思われたいという願望を残念ながら持っているのは否定できないのですが、そういうことじゃなくて、純粋にゲームみたいな感じなんですね。で、模試みたいのも受けてみたりしました。


一方、その頃今ではどうなってしまったかわからない同窓会サイト「ゆびとま」(このゆびとまれ、ってことですね)で、僕が中学1年生のときの高校3年生の先輩を発見し、なんとなくメールを送ってみる、ということをしました。実は今思えばここから今の奥さんと結婚する布石が打たれ始めていた、、、。今でも覚えているんですが(この台詞、意外と出てくる-でも、実は自分が覚えていることって、やっぱりあるポイントが多くて、全てが鮮明に記憶に残っているわけじゃない、ということを今回回顧録を書いててよく思います)、どこかの(覚えてるって言った割には場所を覚えてない)とんかつ和幸で、一緒にご飯を食べました。彼は、というか僕の周りの人は知っている人が多いと思うけど、学生のときバーやったり、某コンサル会社で働いて、その後その某コンサル会社の先輩と一緒に会社を立ち上げた人でした(具体的にどうこうっていうのはおそらく文脈にあまり影響しないので割愛)。


とにかく、時間あるならうちの会社で働いてみない、という話になり、その次の週から都内某所(オフィスは自宅兼)で突然働き始めることになりました。ここで何をしていたか、というのはまた後で書くとして、こう状況だった、ということ。


で話はロースクールに戻るんですが、実は模試の結果、最高学府合格可能性がA判定だったこともあり(これまたアレですが、たまには昔のつまらない栄光を話させてくれよ、という話、、、。つまらないのはわかってるんですけど、、、書かなくてもいいんじゃないか、という気もするんですけど、一応ネタとして書かせてください。あぁ俺駄目な奴。この辺りの葛藤ってみんなどうやって処理してるんだろう?すごいって思われたいっていうのと、それ、かっこ悪い、っていうののせめぎあい。いや、理想は、自分が何も言わずにすごいって思われたい。でも、言う言わずにかかわらず、他人の目を気にしてどうすんの?という内なる声。あぁぁぁ)、正直半ば目的を達成した気がして、あとそのベンチャー企業で働くことにもなったので、結局実際の試験は受けずじまいでした。


仕事の内容をどこまで書くのか、という点については、ちょっと他の人と相談してからにしますが(あんまり問題ないと思うけど、一応)、初めてバイト(いや、バイトみたいなものなんだけど)じゃない仕事っていう感じの仕事ををしてみた初めての機会でした。この頃知り合った人は、今でも何らかのつながりがあったり、仲良かったり、お世話になったり、これらの複合型だったり、、、。色々ですね。でも、一気に知り合いの種類が増えた気がします。仕事の内容を書かないとあんまり書くことなくなっちゃうな。お世話になってる割に、こちらからお返しができているどうか、というと全くなので、なんだか申し訳ない気がしています。


続く。

暇なので、回顧録。9

1.3.交換留学(大学4年一回め途中-大学4年二回目途中)(続き)


ようやく交換留学時代の後半に入ってきた。こんなに長くなるとはおもわんだが、、、。とにかくGatton Campusを離れ、Miltonで夏休みを過ごし、日本にいって、今度はSt Luciaのアパートのすむことになりました。大学(UQ)から徒歩15分くらいの大き目のユニットコンプレックスで、当時は2ベッド2バスルーム、週300ドル(だから僕は週100ドル払ってた)でした。そこに、シンガポール人のカップルと二人ですむことに。変則的なことに、彼らはカップルなのに、女の子がオンスイート(部屋の中にトイレがついてて大体部屋も大きい)に住み、もうひとつの部屋に僕とその彼氏が住む、という。夜はその彼氏は女の子の方の部屋で寝るという。


今考えると、ちょっと利用されていただけなんじゃないか、という思いも(ただ単に300ドルを二人で住むのが高かったから?)しないわけじゃないですが、いまだに彼らとは連絡あるし、当時は僕が車もってなかったから、車を持ってた彼らと一緒に行動できてよかったし、数年前シンガポールに行ったときもお世話になったりしてました。


さて、勉強はというと、これがまた何をしたかよく覚えてない。どうやら成績表によると、会計の基礎(Accounting for Decision Making)、Introductory Economics, International Trade Theory and Policyという三教科を取っていたらしいのだけど、ほぼ記憶無し。ひとつあるのは、会計の教科の最後のアサインメントで、盗作の疑いをもたれたことでしょうか。提出直前に同じクラスだった人に見せたせいだと思ってるけど(その人は僕のを見て提出直前に色々書きなおしてた、、、)、それも学んだレッスンのひとつでしょうか。アサインメントを見せる、という行為に付きまとうリスクを体で理解。こういうの、アサインメントだけじゃないよね。性善説が当てはまらない場面もあるし、他人を責めなくてすむためにも、気をつけることは必要。秘密を誰に話すか、という場面に似てるね。秘密を誰かに話すということは、その誰かは秘密を守らなければならない、という義務が発生するわけで、その義務の履行が行われない場合、当然その誰かとの関係は悪くなる可能性がある。ということで、信頼する、ということは、仮にこいつならもしもその義務の履行が行われても、関係性自体に損傷はないだろう、という確信なのだと思っている。また、脱線した。結果大丈夫だったけど、あれ、大丈夫になっててよかったよ。後から考えたら。でも実際無実だしね、、、。


ちなみに、話が前後するけど、ブリスベン(というかSt Luciaキャンパス)に出てきてまず思ったことは、アジア人が多い、英語がわかりやすい、まさに映画で見るような外国の大学のキャンパスって感じ、の三点。日本の他の大学からの交換留学生も多いし、なんというか、そうだよな、これが普通の留学だよな、、、と思った次第。みんな自分が特別って思いたい理論に違わず、で申し訳ないですが、Gattonのオンキャンパスの寮→ユニットで友達とシェア、という交換留学生は非常に少ないと思われる。滞在期間が短かったら、普通住むところも一括で準備しちゃうし(したがって、通常はいる間ずっと大学の寮にいるケースが大多数なのではと思う)。だからいいのか悪いのか、というとまたこれは当然これは別の問題で、そして当然また一概に言えない。でも、St Luciaキャンパスの寮にいる人は、きっと友達とか作りやすいんだろうなぁと思ってました。でも俺はその間にシンガポール人の英語に慣れたぜw


ベトナム系のオーストラリア人と友人とこの頃は仲良くしてました。彼の友人とサーフィンにいったり(といっても、サーフィンをしていた、と言えるような状態にはもちろんならず、今もサーフボード持っているけど、完全に飾りと化している、やっとボードに乗れる程度まぁそれでも楽しいけど。また脱線)、まぁよく一緒にいました。あと、日本語を勉強している学生と、日本からの留学生の交流会(Conversation Classと呼ばれていた、というか今もあるかも)みたいのがあって、そういうところにいくと、日本に関心を持ってる、日本が好きなオーストラリア人がいるので、さらに交流がし易いのですね。


正直、これ、言っちゃうとなんなだかなぁという話になりそうですが、そういう場にいることをいまいち、って思ってたんですね。理由は、難易度が低いところで楽しそうにやってるから。おれは日本人とつるまない、とか、日本に興味を持ってる人から入るなんて軟弱である、とかそういう思想です。実際のところ、St Luciaにきてまた、最高学府スゲーみたいなこと言われる環境になるわけです。英語がいまいちな日本人が、オーストラリアで人と仲良くなる難易度(この書き方がもう偏差値で育ってきた世代ぽくていやですが→偏差値の過大偏重も問題だけど、そのBackfireもどうなの、と思う。日本以上に学歴偏重の国、結構多い気がする。検証はしてないw)は、日本人→日本が好きなアジア人(アジア系オーストラリア人を除く)→日本が好きなアジア系オーストラリア人→日本が好きな非アジア系オーストラリア人→その他アジア系オーストラリア人→その他非アジア系オーストラリア人、となるとして、Gattonでは、最後のカテゴリー(その他非アジア系オーストラリア人、日本に興味なし)の中で戦ってきた(そして敗戦してきた)僕としては、日本の枠組みが通用してしまうことに軽く快感を抱きながらも、それを悪として捕らえていたわけです。


この順序付けは、実際間違ってはいなくて、ようは共通の会話のトピックの多さに反比例して仲良くなる難易度は高くなるに決まってるってこと。そりゃそうだよね。ただ、この順序付けの問題点は、これがそのまま、難易度が高い→達成してるとすごい(てか、そう僕が思っちゃっていたところ)、ってなるところ(だと思う)。俺、今まで上位リーグで戦ってたんだぜ、と。これ、おそらく敗戦国の意識を引きずっている部分(白人≒アメリカ人に対する劣等感)と、上位に位置する人種が使用する言語(と僕が思ってるわけじゃないですよ、でも、これを説明するとなるとそういう風に心のどこかで思ってる可能性に言及しているだけです)であり、世界で国際言語としての地位を(少なくとも日本語よりは間違いなく)確立している英語に対する劣等感を顕著に示してるんじゃないかなと思うので。一応自分をかばうために一言言うならば、その場にいる日本人の人たちを個人的に軽蔑してたわけじゃないし、今でも連絡取ってる友人もいることに留意を。当時の、その場における僕の精神状況を説明している、ということで、今の僕が思ってることをわけじゃないんだよ。


続く。











トライアスロン日記1

回顧録だけでは今のことまったく書くことがないので、とりあえずトライアスロンに向けての日記を書くことにする。これも備忘録みたいなものだけど。

今日はTwitter上でもFacebook上でもぶつぶつ言っていたとおり、せっかく水泳のSquad Trainingに参加しようとして朝6時にプールにいったら、誰もいなかった。というわけで、今日はこんなトレーニングをやろうと思ってます。

家に事務器具がおいてある(といっても、ルームランナーとベンチプレスだけ)ので、豪雨のこんな日でもトレーニングは家でできるのは救い(といっても、そんなしょっちゅうちゃんと使っているわけではない)。今日のメニューは以下のとおり。ただ腰がまだちょっと痛いので、気をつけないとまた動けなくなる、、、。サポーターつけてやろうかな。とりあえず今は脂肪燃焼して体重減らさないとなぁ。なんやかんやで現在体重90kg。

6:30-7:00 - walking 6-7km/hr
7:00-7:15 - (push up 20, sit up 20, squat 20) x 4
7:15-7:45 - jogging  8 km/hr
7:45:8:00 - stretch
そしてまた寝る!

明日は参加するトライアスロンシリーズの第一戦があるんだけど(これにはエントリーしてない)、こういう天気(雷雨)だと開催されるのだろか。見に行こうかと思ってたんだけど。

暇なので、回顧録。8

1.3.交換留学(大学4年一回め途中-大学4年二回目途中)(続き)


まだ交換留学編は続く。長いね。


とにもかくにも、2月は日本に一時帰国しました。留学に少しでも憧れをもったことがある人ならわかると思うけど、なぜか日本の空港に久々についたときの高揚感というのはなんなのでしょうか。「俺、日本に住んでて海外に旅行して帰ってきたんじゃないんだぜ、海外に住んでてちょっと日本に帰ってきてんだぜ」みたいな感じなのでしょうか。でも、それでなんでちょっと自分の等級が上がったような気がしてしまうのでしょう。留学がどれだけ珍しいのっていうとたいしたことないわけで、じゃぁたいしたことない(つまりしてる人なんてくさるほどいる)から絶対的な意味でたいしたことないかっていうときっとそういうわけじゃないのだと思うけど。とにかく、誰もきにしてないョ!と自分で後から突っ込みを入れたくなるくらい、すごい人間に変身したと思ってしまうのです(ちなみに、数回でそういう思いもなくなります)。


他人と比べての優越感・劣等感、という軸からはずれたくてしょうがないんだけど、競争(ようは勝つか負けるか)ではない形で内部から湧き上がるモチベーションをどう生み出すのか、というのがテーマになってきています。流れとして。本筋と外れますが。


えっと、今でも覚えてますが、説明会に行ったのが、住友信託銀行で(これはほんと説明会のみ)、あとはソロモンブラザーズ(ちょうどその頃日興シティ証券になった)の説明会に行きました。結局一次面接に行ったのはソロモンブラザーズだけで、二次面接以降についても、大学の学期が始まってしまうということで、6月に帰国してからやってもらう、ということになりました。留学の授業を休んで就職活動ってやっぱおかしいじゃないですか。


そして、ブリスベンに戻って2学期目をSt Luciaですごすわけですが、流れ的にこの就職活動がどうなったかだけ先に記しておきます。一言で言うと完全になめていたのですが、自分が面接で落とされるわけないんだから、2社以上受ける意味ないと思っていたんですね。これはかなりの度合いで信じてました。ただ、現実には、実はソロモンブラザーズも志望していた部門は既に必要な新卒採用の人数は通常の就職活動時期(少なくとも6月前には当然決まっているわけで、、、)に確保済みで、ようは、よほどたいした奴じゃない限りはとらないわけです。結果から言うと、たいした奴じゃなかったわけですw。


実は、6月に日本に帰って、そこから面接をしてもらい、というかおそらく10回くらい面接をして、部門のヘッドまで面接して(今でも印象に残っているんだけど)、「キミの評価が二分しててねー」という話だったわけです。部門のヘッドとの面接の後で、今度の面接はなんと白人さん。交換留学帰りとはいえ、結局今の英語力(今、というのはこれを書いている現在)よりはるかにShitな英語なわけで、そんな状態で、"what do you think about the deflation in japan"って聞かれても、答えられないわけです。そして死亡フラグが立ちました。一社しか受けないというのは今振り返れば愚かな上、大した傲慢さだなと思いますね。これも、成田空港効果に近いのかもしれません(でも、実際のところは英語は大して話せない、というところから、成田空港効果がいかに実力を反映してないかを物語る)。


ただ、思いやりなのかどうか、という点は別としても、両親は、僕が、よく言えばその世代の「トップ人材が受ける」悪く言えば「流行」ったという理由で受けていた(色々当時理由はこじつけてたけど、実際ははそういうことだったと思う)「いわゆる外資の証券会社」に落とされたということで、少なからずほっとしたような話をしてくれました。実際の仕事内容はよくわからないけど、みんなが行きたい人気の職場が実際に自分に合ってるか合ってないかは別問題なのは確か。まぁ、これ、普通に考えて思いやりだよなwちなみに、大学受験のときも、同じような理由でほっとされている。


というわけで、話はSt Luciaの時代に戻ります。


続く。