Friday, 6 January 2012
暇なので、回顧録。19
1.6.大学院生活 (続き)
大学院が始まるにあたって、簡単に説明を。僕がとった大学院のコースはMaster of Commerceという日本語で言うと商学修士?にあたるものなのだけど、これは別に修士コースだから学士コースよりすごい、ということはなく、むしろ学士(Bachelor)を持っている人対象に短期間で重要な点だけ網羅しますよ、的なコースです。これ、勘違いされがちなんでまず始めにクリアにしてみる。
大学院にそもそも行くことになったのには主に二つ理由があって、一つには永住権の取得のため、二つ目は会計士コースに入るため。
一つ目は非常にわかりやすいと思うんだけど、当時(今はもう少し厳しいと思う)は会計周りの学位をオーストラリアの大学から取得してたら(ただし2年間のコースは必須)、ほぼ自動的に永住権が申請できて余裕で取得できました。IELTS(アイエルツ、英語のテスト、TOEFLのイギリス版?)とかHIVテストとかは受ける必要あるけど、基本的には簡単にとれました。
二つ目の会計士コースに入るため、ということについては、若干の説明が必要かと(もしかしたら既に回顧録のどこかで記載されてる可能性もあるけど、もう一度書くほうが全部読み直すより楽と判断してぶっこむ)。オーストラリアにはCPAとCAという二つの会計士の資格があって(もう一つくらいあるという話も聞いたことあるけど、基本的にはこの二つだと思う)、うちの雇用者は基本的にCAをとることを推奨している。CA、というと日本のみんなはいまや使われない「スッチー」ことCabin Attendantを想像することが想像に難くないのだが、残念ながらそんなセクシーなことはなく、Chartered Accountantの略称である。
CPAとCAの何が違うのっていう論議はWikipediaかどこかのまとめにまかせるとして、とにかくCAをとらないといかん、という状況で、CAのコース(CAの資格を取得するために必要なコース)に入るためにはオーストラリアの大学(もしかしたら国外も可かも-でも僕はオーストラリア国外で会計関連の勉強をしたことがないので無関係)で決められた科目を履修していることが求められるのでした。
他の理由としては、英語がいまいちな自分が職場でソフトランディングすること。これは実は後々思うことなんだけど、非常によく機能した。つまり、大学院が終わる頃には英語は若干まし、社内のシステムについては理解している、会計・税務を実務と平行して勉強できる、という点。
ところで、当時というか今もかもしれないけど、同じコースをとっていた人の約9割はアジア人(オーストラリア人でないアジア人)、日本人は僕一人、おそらくメインランドチャイナが7割くらいは占めていた(と思う)。そこから推測するに、一つ目の目的(永住権取得)が大きなAttractionになっていたのは間違いないと思う。
さらに脱線するけど、留学生(要は、市民権もしくは永住権を持っていない人)の授業料は高い。当時でも高かったけど、今はもっと高い。確か当時1学期で8,000ドル、今はもう12,000ドルくらいだと思う。何かの統計で、鉄鉱石、石炭に続いてオーストラリアの輸出産業の3位に教育産業がランクインしてたけど、よくわかるよね。
授業中、中国に留学しに来たような不思議な空間が漂っておりましたとさ、、、。
続く。
暇なので、回顧録。18
1.6.大学院生活
随分間があきました。結構忙しかったのですよ。年末。8日まで休暇だけど、休暇中は時間が経つのがはやい、、、。
さて、大学院が始まる直前くらいまでについて書いたいた模様。というわけで今回から新しいSub sectionに。
大学院が2004年7月になりはじまりました。7月の終わりだったかな。憧れの海外の大学のキャンパスで交換留学とかじゃなくて勉強できるという喜びにうきうき、、、は特にしてませんでした。もうそのキャンパスいたことあったしね。そもそも入学式とかも何も行かなかった気がする。
どちらかというと、人生初の正規被雇用者として会計事務所で働き始めたことの方が大きい出来事で、そっちにアタマがいっぱいいっぱいでした。
前回大学院が始まるまでの3ヶ月間はうんちみたいな仕事をさせてもらっていた、という風に書きました。これは雇用者を責めているわけではなく、自分がうんちみたいな仕事しかできない(会社のシステムもわからない、会計も税務もはっきり言ってベース知識ほぼゼロ)上、語学学校はビザの関係上(学生ビザの場合)、ある程度の出席日数を要する(8割以上の出席が求められた気がする)ため、毎日午後3時出社とか、今から考えれば周りの人はホント使えない上使いづらい人間だったわけです。
大学院が始まってこれが少しはまともになるんだけど、それでも学期中はフルタイム(つまり普通の大学院生が取る授業数(通常4クラス)をとる)で勉強することがまたしても学生ビザ上求められるので、ツメツメで授業を入れても週3日働けるかどうか。まぁどっちみちビザの制限上、学期中は週20時間までしか働けないんだけどね。
毎日午後3時から出社、というのもひどい話なわけだけど、週2日半しか会社にいない、というのも仕事を振る立場からすると非常に使いづらい。ちなみに、英語いまいち、会計・税務いまいちのステータスは劇的に変化するわけもなく。というわけで、うんちみたいな仕事は続くわけだ。
もう少し後で業務内容には守秘義務にかかわることを除いて説明するとして、この時点ではうんちみたいな仕事、というのは自分ができる最大限の仕事であったと言える。給料は非常に低かったけど、お金をもらっている以上、少しでも役に立ちたいと思う純粋な気持ちがそこにはありました。空回りしてたけど、バリュー低い仕事(コピー取りでもファックス送信でも)でもそれで他の人がバリュー高い仕事ができる時間が増えるなら喜んでやりました。特に始めの半年はこんな感じで、自分ができる簡単な仕事をとにかく任せてもらうために必死こきました。あとは事務所ないでの自分のキャラの確立ですな。これも英語できないときついんだ。
その頃お世話になっていた日本人の先輩とは今でも連絡をとってます。怖かったけど、どこかフェアな人だったなぁと思います。そして、迷惑おかけいたしました。すみません。
結局大学院のことにはほとんど触れなかった。そのうち書きます。
続く。
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