Sunday, 13 January 2008

社会と生物との乖離

人間が地球という物理的な環境の中の枠組みの中で生きているのか、人間が人間が作り出した社会の枠組みで生きているのか、両方なんだろうけど、日常で意識するのは後者なのでしょうか。

だから、“環境”をわざわざ社会の枠組みに組み込む必要がある。

何をしたらいいのか前者のレベルで理解していても、後者の中での縛りが大きい中では、行動には反映されにくい、ということでしょうか。なんで所謂『環境問題'』の解決が困難なんだか、考えてみたいと思います。

昔自分が一人死んだら世界が全て幸せになるとして、自分が死ぬかと考えたことがありますが、僕は死にたくありません。これは醜いエゴなんでしょうか。でも、いい悪いは別として、合成の誤謬とはこういうことなんでしょうな。

ヒューマニズム、あんまりいけてないのかな。民主主義なんて、合成の誤謬しか招かないのかな。でも、民主主義の結果を示すには、歴史が浅い気がする。資本主義が一番理にかなった気がするのは今の時代に生きているからかもしれないけど、その主義時代によって自分が滅ぶ可能性があることも知ってたほうがいいのかな。

あー徒然。こんな日曜もよかろう。買い物に行って来よう。ミクロだ。

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